善龍寺

信州新町 善龍寺 平安時代に学業行者が飯縄山の麓に開山

由緒
寺譜伝によれば、当寺は元慶三年(西暦879年)四月、慈覚大師(第3代天台座主)の弟子である相応法師が、当郡に来て、信州新町の日名の地に草庵を結び善龍寺と号した後、昌秦元年(西暦897年)七月、栄学法師が再興して諸堂を建立した。故に相応法師を前の開山とし、栄学法師を後の開山としている。法らん盛んでであったが、康治(西暦1143年)二年に落雷のため山門を消失、その後享和元年に出火、弘化四年の震災により半倒壊している。
戦後の農地解放でお寺の収入減が経たれ一度は廃寺されたが、現在は再興されている。
宗派は天台宗である。

また、天台宗の修行・仏尊の図像を集成した鎌倉時代の京都の書物「阿婆縛抄」には、次の一節が記されている。嘉承二年(西暦894)頃に学問行者は、まず飯縄山に登拝し、西の「大嵩」に向かって祈念して、独鈷を投じた。

通説では上記内容は、戸隠の霊験場の事を書かれているとされ、飯縄の霊場は戸隠の霊験場の中の一つとされているが、戸隠にはその頃に由来となるものが存在していないこと、一方、日名の善龍寺は、創建年が西暦879年に相応法師が開山、西暦897年に栄学法師が再開山とあり、鎌倉時代に書かれた天台宗の書物「阿婆縛抄」の中に出てくる学問行者が飯縄山に赴き登拝した年西暦894年と年代と内容が見事に一致している。またこちらの飯縄山の西側にも大岩と呼ばれる「大嵩」がある。

日名地区には、昔、日名飯縄院と呼ばれる豪族が住んでいたと伝わり、信州新町では唯一奈良・平安時代の大きな屋敷跡も発掘されている。
平安・鎌倉時代には、この地域には京都まで知られる飯縄山、飯縄法の一大霊験場が存在し、その為に、京都の高名な学問行者がわざわざ二度もこの地まで赴き、善龍寺を開山したと考えるのが自然かもしれない。

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